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自然派が気づかないうちに陥りやすい思考5つ

自然派的思考

自然なものを選び始めたとき、「今の暮らしを少し良くしたい」という気持ちからスタートされる方が多いのではないでしょうか。

体に合わないと感じるものがあったり、子どもが生まれたり、忙しい日々の中でふと立ち止まるきっかけがあったり。最初から強いこだわりがあったわけではなく、「ここだけ気になるから変えてみよう」という、ごく自然な流れだったはずです。

ひとつ変えると、少しほっとする。
もう一つ見直すと、「前よりはいいはずだ」と思える。

その積み重ねで、調味料、洗剤、おやつ、日用品へと目が向いていきます。買い物のたびにラベルを見て、スマホで検索し、「これは本当に大丈夫か」を確認するのが当たり前になっていくんですね。

ここで負担になりやすいのは、選んでいる“もの”そのものではありません。知らないうちに身についていく「考え方の癖」です。その癖が強くなるほど、暮らしを助ける軸ではなく、自分を締めつけるルールになっていきます。

この記事では、自然なものを選んでいる方が、気づかないうちに陥りやすい思考を5つ紹介します。「何がしんどさの原因だったのか」ヒントが見つかるとうれしいです。

目次

「中途半端だと意味がない」と思ってしまう

自然なものを選ぶようになると、「できるだけ」「無理のない範囲で」という感覚より、「ちゃんと」という言葉が基準になりやすくなります。平日はできるだけ手作りして、調味料も切り替え、洗剤も見直した。それでも、忙しい日のコンビニや外食が続くと、「今週はダメだった」と一瞬で自分に判定を下してしまう。

無添加の調味料に替えたことで、以前から使っていたものが急に悪いものに見えたり、市販のお菓子を買っただけで、なんとなく後ろめたくなったり。生活自体は回っているのに、心の中に小さな引っかかりが増えていきます。

このとき、見ているのは事実ではなく「理想とのズレ」です。子どもの行事でバタバタした、仕事が立て込んだ、体調が万全ではなかった。そういった事情は脇に追いやられ、「100点かどうか」だけが基準になっています。

すると、80点の日も60点の日も、全部ひとまとめに「できなかった」に分類されます。

平日にどれだけ積み重ねていても、週末の外食が数回入っただけで帳消しにしてしまう。自然なものを選ぶ行為は、本来は「少しずつ積み上がるもの」なのに、自分の中ではテストのように合否で判定されている状態です。

この状態が続くと、「こんなに気をつけているのに、意味がない気がする」という感覚が強くなります。どれだけ気をつけても、理想と完全に重なる日はほとんど来ません。

生活をよくするための選択が、いつのまにか「常に満点を取らなければ価値がない競技」のような扱いに変わってしまうのです。問題は、選択ではなく採点のしかたにあります。

「今日はここまでできた」「今の生活リズムではこのくらいが現実的」と、その日の条件込みで見ること。中途半端に見える日も、ちゃんと意味はあります。価値をゼロにしているのは行動ではなく、「満点以外は失敗」と決めている、自分の判断の癖です。

もっと良いものがあるはずだと思い続ける

ある程度商品や成分に詳しくなると、次に出てくるのが「もっといいものがあるはず」という思考です。今使っている洗剤や調味料も、以前の自分なら十分すぎるほどこだわって選んだもののはず。それでも、SNSやブログで別の商品を見かけるたびに、気持ちが揺れます。

「こっちの方が原材料がシンプル」
「このメーカーは農法にもこだわっている」
「専門家が推しているのはこっち」

こういった情報に触れるたび、今使っているものが急に中途半端に見えてしまう。買う前は納得して選んだのに、使い始めてからも「次は変えたほうがいいかも」と、次の候補探しが頭から離れません。

ここで疲れを生むのは、情報そのものではなく「判断を終える基準がないこと」です。どこまで分かれば十分なのか、自分の中のゴールが決まっていない。だから、情報を見るたびに「まだ足りない気がする」となり、いつまでも選択が確定しません。

たとえば、子どもを寝かしつけたあとにスマホを開く。何気なく見た投稿に「この洗剤に変えてから、子どもの肌トラブルが減りました」と書いてある。自分の家では特に問題は起きていないのに、その一文だけで「うちも変えた方がいいのかも」と迷いが始まる。さらに検索すれば、別の人が別の商品を勧めていて、「結局どれがいいの?」と分からなくなる。

比較的楽に続けられている人は、情報を見ないわけではありません。ある時点で「今はこれでいい」と判断を止められる人です。

人からもらうものを素直に受け取れなくなる

自然な暮らしを意識するようになると、「自分で買うもの」に加えて、「人からもらうもの」も気になってきます。

  • 実家から届いたお菓子
  • 子どもの誕生日に、友人が選んでくれた詰め合わせ
  • 園や学校から持ち帰ってくる、お楽しみ会の駄菓子セット

荷物を開けた瞬間はうれしいのに、あとから裏面を見てしまう。「これは添加物が多いな」「これは子どもに食べさせたくないな」。気持ちはありがたいけれど、素直に喜べず、「どうしよう」と考える時間が増えていきます。

ここで苦しくなっているのは、性格が変わったからではありません。自分で決めた基準を、人との関わりにまで広げてしまっているからです。

自分で選んで買うものなら、調整ができます。でも、もらいものはそうはいきません。その結果、「ありがたさ」と「気になる成分」が頭の中でぶつかり合い、気持ちの葛藤が続きます。

本来、もらいものは「選択」ではなく「関係の中で起きる出来事」です。贈ってくれた人が自分のことを思い出してくれた、その時間や好意も含めて届いている。そこに日常の基準をそのまま当てはめると、無理が出てきます。

「自分でお金を出して買うもの」と「もらいもの」は、評価軸を分けていい領域です。

たとえば、
・日常使いのものは自分の基準で選ぶ
・いただきものは「その場のコミュニケーション」として受け取る
・どうしても気になるものは、家族や友人と分ける・イベントのときに出す etc.

こうした「別枠」を作れることで、もらいものは再び「ありがたいもの」に戻ってきます。

「自分のやり方が正しい」と思い込みやすくなる

この思考が強くなると、暮らしの選択の話から、人との関わり方に影響が出始めます。

「自分はちゃんと調べてきた」
「時間をかけて考えて選んでいる」

そう思うほど、他の人のやり方が目に入ったときの見方が変わります。

たとえば、同じような洗剤を使っていない人を見る。同じ基準で食べものを選んでいない人と話す。そのときに浮かぶのは、「忙しさが違うのかもしれない」「考える余裕がない時期なのかもしれない」ではありません。

出てくるのは、「そこまでやっていない人」というラベルです。

忙しさや体力、家庭の状況、その人が「どう考えてそうしているのか」「どんな事情で、その行動になっているのか」といった背景や考えは見えなくなり、やっているか、やっていないか、自分と同じ行動かどうか、それだけで人を分けるようになります。

「そこまで気にしなくてもいいんじゃない?」そう言われても、そこで立ち止まって考える余地はありません。心の中ではすぐに、

「知らないから言える」
「意識が低いだけ」

と線を引いて終わらせます。

口には出さなくても、「私は私、あなたはあなた」という距離の取り方が固定され、他の価値観が入り込む余地がなくなっていきます。

本来、日々の判断は、そのときの状況に影響されます。それなのに、「自分が正しい」という前提を一度置いてしまうと、違いはすべて“事情”ではなく“間違い”に見えるようになります。そうなると、立ち止まって見直すことがなくなります。生活が変わっても、「正しいことをしているから」という理由だけで、同じやり方を続けてしまいます。

必要なのは、正解を守り続けることではありません。条件が変わったときに、「今も同じやり方で大丈夫か?」と、考え直せる余地を残しておくことです。それがなくなったとき、「自分だけが正しい」という思考は、人との関わり方にまで持ち込まれるようになります。

5. 自然派であることが自分の立場になる

自然なものを選び続けていると、「そういう人」として見られる場面が増えていきます。周りからは「添加物に詳しい人」「いつもちゃんとしたものを選んでいる人」と見られ、自分でもそのイメージを意識するようになります。

ここまでくると、自然なものを選ぶことは、単なる生活の選択ではなく「自分の立場」に近いものになります。SNSで発信していたり、友人から相談を受ける機会が多い人ほど、その傾向は強くなります。

そうなると、今日はお惣菜で済ませたい、たまにはジャンクなものを食べたいと思ったときに、余計なブレーキがかかります。スーパーで手を伸ばしかけて、「でも、あの人に見られたらどう思われるかな」「自分のイメージと違うかも」と考えて戻してしまう。誰かに責められたわけでもないのに、自分で自分を縛ってしまう状態です。

ここで起きているのは、目的のすり替えです。本来の目的は”自分や家族が暮らしやすくなること”だったはず。それがいつの間にか、”自然派の自分でいること”に変わっています。

日用品や食べものは、その人の人格や価値を決めるものではありません。「何を選ぶ人か」は、その人の一部分でしかありませんし、ライフステージによって変わってもいい領域です。

立場を守るための選択が増えると、生活の余白は確実に減ります。それは自然派そのものが悪いのではなく、「自然派である自分像」を守るために、無意識のうちに選択を狭めているからです。

自分の中で、こう切り分けてみてください。

「人に話すときに伝えている価値観」
「今日この瞬間の、自分の体調や予定や気力」

どちらも大事ですが、日々のごはんや日用品の選択で守るべきなのは、後者のほうです。立場は一度崩れても、必要ならまた作れます。でも、体力と気力は、無理を続けるほど削れていきます。

暮らしを続けるうえで本当に守りたいのは、「自然派らしい自分」ではなく、「暮らしを支える自分」です。

おわりに

自然なものを選ぶ暮らしが、いつのまにか重たく感じられるようになったとき。それは、選び方が間違っているからではありません。ただ、

  • 「ちゃんとできているか」で毎回自分を点検していたり
  • より良いものを探し続けて、判断を休めなくなっていたり
  • 人との違いまで気になってしまったり

そんなふうに、考え方の癖が少しずつ積み重なっているだけのことが多いのです。

自然なものを選ぶことは、本来、暮らしを楽にするためのもの。頑張り続ける競技でも、立場を守るルールでもありません。

今日は外食が多かった日もある。
今日はお惣菜に頼った日もある。
それでも、今の生活はちゃんと続いている。

「今日はここまでで十分」

そう区切れる日が増えるほど、選ぶことが楽になります。

一度決めたやり方を、途中で変えてもいい。条件が変わったら、考え直していい。誰かと違っていても、それは間違いではありません。自然なものは、生活を整えるための手段です。自分や家族の毎日がまわっていくなら、それで十分。

この記事が、「もっと頑張らなきゃ」ではなく、「今のままで大丈夫かも」と思えるきっかけになっていたらうれしいです。

店主より

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