安いものを選ぶことに、罪悪感を持つ必要はないとわたしは思っています。
日々の買い物の中で、価格はとても現実的な判断材料ですし、安く手に入るなら、それはやっぱりありがたいことですよね。わたし自身も、長い間そうやって選んできました。
ただ、安さがどうやって成り立っているのかを知る機会は、あまり多くありません。値段そのものは目に見えますが、その裏側にある取引の条件や、価格が決まるまでの過程は、ほとんど表に出てこないからです。
フェアトレードという言葉も、「やさしい取り組み」「応援する買い物」といった文脈で語られることが多いですが、実際には感情の話というより、価格や取引条件の話だと感じるようになりました。
なぜ安くなり続けるのか。その構造の中で、どこに負担が集まりやすいのか。
そうした背景を少しずつ知っていくと、フェアトレードは「特別に良いことをするための仕組み」ではなく、安さの理由を理解するための仕組みとして見えてきます。
安い理由を知ると、フェアトレードの見え方も、少しずつ変わってきます。
安い理由はどこから生まれるのか
安さは偶然に生まれるものではありません。特に、コーヒーやカカオ、砂糖などの一次産品は、国際市場で価格が決まるという特徴があります。これらの価格は、主に先物市場を通じて形成され、世界中の取引の基準になります。生産者が「この価格で売りたい」と決められる余地は、ほとんどありません。
市場価格が下がれば、その影響は直接、生産者の収入に跳ね返ります。価格が不安定でも、生産者はその変動を受け入れるしかない、という状況が続いています。
さらに、国際取引では買い手側の企業が圧倒的に強い立場にあります。大量に買い付ける企業ほど交渉力を持ち、個々の農家は価格交渉に参加することすら難しい場合があります。
流通の過程も複雑で、仲介者も多い業界です。原料の農家、加工工場、輸出業者、輸入業者、卸、小売店。この流れのどこかで「コストを抑えよう」とすると、その結果として、立場の弱いところに負担が集まりやすい構造になっていることが多い、という指摘があります。
生産者の賃金が極端に低くなったり、労働環境の安全対策のコストが削られたり、環境への配慮が後回しになったり。そうした積み重ねの結果として、消費者の目には「安い商品」として現れます。
安さそのものは悪ではありません。ただ、安さは努力の結果ではなく、構造の結果。ここを知るだけで、値段の見え方は変わってきます。
フェアトレードとは?
フェアトレードを調べ始めた頃は、正直「いいことをしている団体なのかな」という印象を持っていました。でも、読み進めていくうちに、それよりもずっと現実的な仕組みだと感じるようになりました。
フェアトレードには、生産者が生活できる最低ラインを守るための「フロアプライス」があります。市場価格が大きく下がったとしても、一定の水準を下回らないようにするための仕組みです。
また、取引は短期ではなく長期契約が前提になっています。価格が安定しない産業ほど、この点は大きな意味を持ちます。1年ごとに値段が大きく動く中で、農家が「この先どうしていくか」を考えられるように設計されています。
さらに特徴的なのが、売上の一部を地域の教育や生活環境に還元する仕組み(フェアトレード・プレミアム)があります。フェアトレードは「価格が高い」というより、これまで見えにくかったコストを少しずつ整理して価格に反映している、そんな印象に近いと思っています。
フェアトレードは、価格を上げること自体を目的とした制度ではありません。不利な条件で固定されてきた取引構造を、少しだけ修正する制度です。
フェアトレード認証制度の限界
フェアトレードの信頼性を支えているのが認証制度です。ただ、制度としてはやはり万能ではありません。
まず、認証を取得するための費用と手間があります。書類作成、監査、管理体制の整備。これらは小規模な生産者にとってかなり大きな負担です。結果として、制度の設計上、支援が届きにくい層が生まれてしまうこともあります。
次に、現場の複雑さがあります。混作農業が一般的な地域では、農産物ごとに労働条件や生産過程を完全に切り分けることが難しく、トレーサビリティ(追跡性)には限界があります。
また、市場側の事情も無視できません。
- 認証を取っても、必ず買い手がつくとは限らない
- 時期によっては、フェアトレード価格のほうが市場価格より低くなる
- 認証取得が目的化し、生産者が制度に従属してしまう
こうした点を知ると、「認証がある=すべて安心」とは言い切れないことが、少しずつ見えてきます。
グリーンウォッシュ問題
フェアトレードという言葉が広まるにつれて、似た表現や雰囲気をまとった商品が増えてきました。
これはグリーンウォッシュ問題と呼ばれ、国際的にも議論されています。環境や社会に配慮しているように見せながら、実態が伴っていない、あるいは一部だけを強調する行為です。たとえば、
- 原料の一部だけがフェアトレード基準を満たしている
- 「エシカル」「サステナブル」といった言葉だけが前面に出る
- 曖昧な表現で、実態以上に良く見せる広告
こうした表示が増えると、本来のフェアトレードと、フェアトレード“風”のものの区別が、どうしても難しくなります。
企業が“イメージ戦略”として意図的に行う場合もあれば、エシカル志向が高まる市場の中で、「そう見せたほうが選ばれやすい」という事情が働く場合もあります。結果として、消費者側が判断しづらくなり、フェアトレードの意味そのものがぼやけてしまいます。
欧州では表示に関する議論や規制が進みつつある一方で、日本では、まだ判断が難しいと感じる場面もあります。
おわりに
調べてきて感じるのは、フェアトレードを「選ぶかどうか」よりも先に、「なぜこの仕組みが必要とされたのか」を知ることが大切だということです。
安さは、自然に生まれたものではありません。国際市場の仕組み、価格決定権の偏り、流通構造、そして、見えにくいところで削られてきたコスト。そうした要素が重なって、今の価格があります。
フェアトレードが目指しているのは、正しい買い物を増やすことではなく、不利が一方に集まり続ける取引構造を、少しだけ組み直すことです。
フェアトレードを選ぶかどうかは、もちろん自由です。すべての買い物に取り入れる必要もありません。
ただ、安い理由を知ったあとでは、価格を見るときの視点が一つ増えます。「安い」「高い」だけで終わらず、この価格は、どんな条件の上に成り立っているのか。それを考えるようになるだけでも、買い物の見え方は十分に変わると思っています。
フェアトレードは、誰かを説得するための仕組みではありません。安さの背景を知ることで、価格の意味が少しはっきりする。その結果として、フェアトレードという仕組みの存在理由が見えてくる。それだけの話です。
買い物のとき、値段だけでなく、その裏にある構造をふと思い出せるようになる。それが、フェアトレードという仕組みを知るいちばんの価値だと、わたしは思っています。
店主より


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